日記365日
2001年8月7日日曜に、毎日1行でもいいから書こう、なんて言ってたくせに、月曜は何も書かずに寝てしまった。
1日で365行書いたら、1年の日記になるんだろうか。
1日で365行書くよりも、毎日1行に収めることのほうが遥かにに難しい。あたりまえか。
先週末はおとなしく家で過ごしたせいで、月曜の朝は、まるで他人の家から自分の部屋に帰るような感覚で出勤した。ここ数ヶ月、自分の部屋にいるよりも、外で過ごす時間のなんと多いことか。
この家が建って5ヶ月弱。今までの人生で、こんなに外で過ごす時間が多いのって初めて、かもしれない。
大人になったってことなのかな。ちがう?
きのうは月曜から、お待ち合わせしてビール。
最近デブ気味な猫は、ダイエットを敢行することにした。
・・・がしかし、Aさんに
「あたしよりも意志弱いですねー」
って笑われるほどに、お菓子自粛は続かなかった。
昼間は頑張った。スナック食べないように。
でもっ、きのうの残りのイカせん、ほんの2枚ほど残っていたのは食べちゃった。ついでに、Aさんからもらったハーシェイズのナッツ入りチョコも食べちゃった。
だって、おなかがすいたんだもんっ。
今日は久々に7時台に会社を出た。はやい!
飲みに行っちゃおうかとも思ったけど、残りの残高と眠気を勘案して、おとなしく帰ってきた。
今月、生きていけるかしら。かなりピーンチな財政。まあでも、なんとかなる・・・でしょ。たぶん。
忙しいときは、あれもしたくてこれもしたくて勉強しなきゃいけなくて、って思う。
なんでこんなに時間が足りないの、こんなに頑張っていろいろしてるのに、って思ってたっけな。
んでもって、思い切り暇なときは、これでもか、ってくらい眠って眠って眠って、そればっか。
ああいうときにこそ、勉強したり本読んだりすりゃあ良かったんだけれど。
そんなわけで、ぐうたら猫は、忙しくしているときのほうが「何か」しています。
それは、遊びだったりのみだったり、勉強だったり仕事だったりはするけれど。
結局、忙しくても絶対にすることは、食事と飲み。
暇だとしないことは、仕事と勉強と友達づきあい。なぜか、スゲー忙しいときのほうが、友達との付き合いも密になる。
何も考えない時間が欲しい。
何か考える時間が欲しい。
一見矛盾しそうでいて、でも矛盾していないような。
最近考えること。
やきもちを妬く。
それがコミュニケーションであり、愛情表現になるのだろうと思うとき。
逆に、
こんなこと言い続けてたら、うざいって思われて嫌がられるんだろうって感じる。
そう感じるのは疑心暗鬼になる一歩手前だし、そんなこと思わなくってもいいのに。
いやいや、やっぱり、自分がそんなこと言われたらやっぱり嫌だもん。
ううん。だって猫はそんなこと言わないもん。
だけどあまり何も言わないのも悔しいから、思わせぶりに、こんなこともあんなことも言ってやるもん。
でもなんでそれ聞いても全然平気なの?なんかそれもつまんないような、それでいて、なんか全部肯定されてるような。
そんなのが嬉しいような、でも実はあとで何か思ってるんじゃないんだろうかとか、いやいやMに限ってそんなことないだろうとか、
だけどでもやっぱり、なんでそれは平気なんだろうとか、
行ったり来たり行ったり来たりの繰り返し。
私自身は、今まで生きてきた人生は人生で肯定できるようになった。痛い目にも遭ったけど、楽しい事だってたくさんあった。
それは、私に限らず、生きてる人みんなが内(なか)に持ってる「想ひ出」ってものだと思うし、辛い事だってみんな抱えて生きてるのかもしれないし。
なんちゅーか。
だけど、現在(いま)の自分がいるってのは、取りも直さず、これまでの人生があってこそのもので、あの日あの時、歩いた拍子に踏んだ葉っぱの1枚がなかったら、もしかしたら歴史は変わっていたのかもしれない。
過去の「たられば」はもういい。
なんか誰かがそんなこと言ってたっけ。
この数ヶ月、時間を埋めるために、「することを探して」いた気がする。
それは、いまもあまり変わらない気がするけれど。
私の仕事はどうなっちゃうんだろう。
この先私はどうなっちゃうんだろう。
仕事のことは、わかりやすそうでいて、一寸先は闇なのかすらわからない。
でもそれにも慣れてきた自分が怖かったりとか。
最近、フシギに思うことがある。
なんでMは猫のこと見ててくれるんだろう。
猫のどこがいいんだろう。
すごい疑問。
花火を見ながら、来年も見ようねって言われて、来年はいないかもしれないからねえ、って返してる自分が変だった。
変って言うのは、笑っちゃうと言うか、何言ってんだろうっていうか、でも本心だったりとか。
べつに、来年までにMと一緒にいるのをやめよう!とか思ってるわけじゃない。
いつからか、先のことに期待するのをやめるようになった。
そう言う反面、こんなこと言ったら、ほんとに先が長くなくなったりして、そうなったらやだなあとか、んでも、そうなるかもしれないから先のことなんてわかんないさって思ったり。
「なんで〜?仲良くしよーよ」
って言ったMのコトバが嬉しかった。
うん。
望むと望まないとに関わらず、先のことは、どうなるかわかんない。それは今でも変わらない。
でも冷静に(?)考えて、べつに今すぐ一緒にいないっていう状態を想定できないし、それが毎日続いたら、なんか長く一緒にいるのかもとか思って。
そう言えば、会った最初の頃、本当に楽しくて、同じようなことを言ってた記憶がある。
ちょっとかっこつけて、かわいこぶって、頑張って、でも根本のとこではけっこう本音ぶちまけて。
人間、カッコつけても本音って出ちゃうもんだし。
気がついたら知り合って2度目の夏だった。
なんちゅーか。
とりあえず、今は会いたいと思って、一緒にいたいと思って、そういう気持ちがあるってことでいいのかな。良い意味で深くは考えず。
子どもの頃は、自分が好きな相手が自分のことを好きになるなんて、砂場の砂の中から一粒の砂を見つけるよりも確率が低いと思ってた。
でも、ここまでの人生で、いくつかの砂一粒を見つけていたかもしれない。
それがどうしたってわけじゃなく、そんなこともあったなあと。
自分のことに関しては、終わったものは終わったってことで、すごく完結しちゃってるんだけど。
いつしかその砂粒は、砂場の砂そのものでしかなくなていったっけ。
へんなの。今の話とつながんないよ。
おかしいなあ。他にもいろいろあるのに。
相手のしたいことを尊重したい。
自分のしたいことを尊重したい。
だけど相手を束縛したい。
でも自分はどうしたい?
まったくもぉ、ほかにもうちょっと考えようよ。
んでも・・・・まいっか。
1日で365行書いたら、1年の日記になるんだろうか。
1日で365行書くよりも、毎日1行に収めることのほうが遥かにに難しい。あたりまえか。
先週末はおとなしく家で過ごしたせいで、月曜の朝は、まるで他人の家から自分の部屋に帰るような感覚で出勤した。ここ数ヶ月、自分の部屋にいるよりも、外で過ごす時間のなんと多いことか。
この家が建って5ヶ月弱。今までの人生で、こんなに外で過ごす時間が多いのって初めて、かもしれない。
大人になったってことなのかな。ちがう?
きのうは月曜から、お待ち合わせしてビール。
最近デブ気味な猫は、ダイエットを敢行することにした。
・・・がしかし、Aさんに
「あたしよりも意志弱いですねー」
って笑われるほどに、お菓子自粛は続かなかった。
昼間は頑張った。スナック食べないように。
でもっ、きのうの残りのイカせん、ほんの2枚ほど残っていたのは食べちゃった。ついでに、Aさんからもらったハーシェイズのナッツ入りチョコも食べちゃった。
だって、おなかがすいたんだもんっ。
今日は久々に7時台に会社を出た。はやい!
飲みに行っちゃおうかとも思ったけど、残りの残高と眠気を勘案して、おとなしく帰ってきた。
今月、生きていけるかしら。かなりピーンチな財政。まあでも、なんとかなる・・・でしょ。たぶん。
忙しいときは、あれもしたくてこれもしたくて勉強しなきゃいけなくて、って思う。
なんでこんなに時間が足りないの、こんなに頑張っていろいろしてるのに、って思ってたっけな。
んでもって、思い切り暇なときは、これでもか、ってくらい眠って眠って眠って、そればっか。
ああいうときにこそ、勉強したり本読んだりすりゃあ良かったんだけれど。
そんなわけで、ぐうたら猫は、忙しくしているときのほうが「何か」しています。
それは、遊びだったりのみだったり、勉強だったり仕事だったりはするけれど。
結局、忙しくても絶対にすることは、食事と飲み。
暇だとしないことは、仕事と勉強と友達づきあい。なぜか、スゲー忙しいときのほうが、友達との付き合いも密になる。
何も考えない時間が欲しい。
何か考える時間が欲しい。
一見矛盾しそうでいて、でも矛盾していないような。
最近考えること。
やきもちを妬く。
それがコミュニケーションであり、愛情表現になるのだろうと思うとき。
逆に、
こんなこと言い続けてたら、うざいって思われて嫌がられるんだろうって感じる。
そう感じるのは疑心暗鬼になる一歩手前だし、そんなこと思わなくってもいいのに。
いやいや、やっぱり、自分がそんなこと言われたらやっぱり嫌だもん。
ううん。だって猫はそんなこと言わないもん。
だけどあまり何も言わないのも悔しいから、思わせぶりに、こんなこともあんなことも言ってやるもん。
でもなんでそれ聞いても全然平気なの?なんかそれもつまんないような、それでいて、なんか全部肯定されてるような。
そんなのが嬉しいような、でも実はあとで何か思ってるんじゃないんだろうかとか、いやいやMに限ってそんなことないだろうとか、
だけどでもやっぱり、なんでそれは平気なんだろうとか、
行ったり来たり行ったり来たりの繰り返し。
私自身は、今まで生きてきた人生は人生で肯定できるようになった。痛い目にも遭ったけど、楽しい事だってたくさんあった。
それは、私に限らず、生きてる人みんなが内(なか)に持ってる「想ひ出」ってものだと思うし、辛い事だってみんな抱えて生きてるのかもしれないし。
なんちゅーか。
だけど、現在(いま)の自分がいるってのは、取りも直さず、これまでの人生があってこそのもので、あの日あの時、歩いた拍子に踏んだ葉っぱの1枚がなかったら、もしかしたら歴史は変わっていたのかもしれない。
過去の「たられば」はもういい。
なんか誰かがそんなこと言ってたっけ。
この数ヶ月、時間を埋めるために、「することを探して」いた気がする。
それは、いまもあまり変わらない気がするけれど。
私の仕事はどうなっちゃうんだろう。
この先私はどうなっちゃうんだろう。
仕事のことは、わかりやすそうでいて、一寸先は闇なのかすらわからない。
でもそれにも慣れてきた自分が怖かったりとか。
最近、フシギに思うことがある。
なんでMは猫のこと見ててくれるんだろう。
猫のどこがいいんだろう。
すごい疑問。
花火を見ながら、来年も見ようねって言われて、来年はいないかもしれないからねえ、って返してる自分が変だった。
変って言うのは、笑っちゃうと言うか、何言ってんだろうっていうか、でも本心だったりとか。
べつに、来年までにMと一緒にいるのをやめよう!とか思ってるわけじゃない。
いつからか、先のことに期待するのをやめるようになった。
そう言う反面、こんなこと言ったら、ほんとに先が長くなくなったりして、そうなったらやだなあとか、んでも、そうなるかもしれないから先のことなんてわかんないさって思ったり。
「なんで〜?仲良くしよーよ」
って言ったMのコトバが嬉しかった。
うん。
望むと望まないとに関わらず、先のことは、どうなるかわかんない。それは今でも変わらない。
でも冷静に(?)考えて、べつに今すぐ一緒にいないっていう状態を想定できないし、それが毎日続いたら、なんか長く一緒にいるのかもとか思って。
そう言えば、会った最初の頃、本当に楽しくて、同じようなことを言ってた記憶がある。
ちょっとかっこつけて、かわいこぶって、頑張って、でも根本のとこではけっこう本音ぶちまけて。
人間、カッコつけても本音って出ちゃうもんだし。
気がついたら知り合って2度目の夏だった。
なんちゅーか。
とりあえず、今は会いたいと思って、一緒にいたいと思って、そういう気持ちがあるってことでいいのかな。良い意味で深くは考えず。
子どもの頃は、自分が好きな相手が自分のことを好きになるなんて、砂場の砂の中から一粒の砂を見つけるよりも確率が低いと思ってた。
でも、ここまでの人生で、いくつかの砂一粒を見つけていたかもしれない。
それがどうしたってわけじゃなく、そんなこともあったなあと。
自分のことに関しては、終わったものは終わったってことで、すごく完結しちゃってるんだけど。
いつしかその砂粒は、砂場の砂そのものでしかなくなていったっけ。
へんなの。今の話とつながんないよ。
おかしいなあ。他にもいろいろあるのに。
相手のしたいことを尊重したい。
自分のしたいことを尊重したい。
だけど相手を束縛したい。
でも自分はどうしたい?
まったくもぉ、ほかにもうちょっと考えようよ。
んでも・・・・まいっか。
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